

小田急エージェンシーCHAKKA×内閣府地方創生SDGs
「ヒトと地域をつなぐアクション」
本企画では、全国で持続可能な地域づくりに取り組む地域や人を発信。
本記事は「ヒトと地域をつなぐアクション」連載第一弾「長崎県波佐見町」の事例を紹介します。
手入れされず放置された竹林が増加し、土砂災害をはじめとしたさまざまなリスクが全国各地で増大しています。しかし、地主や自治体の限られたリソースだけでは、対応しきれないのが現実です。そんな中で生まれたのが、東京都町田市の市民団体「小野路竹倶楽部」です。会費も規約も設けず、竹灯籠づくりやメンマづくりといった気軽なワークショップを通して、「まず自分たちが楽しむこと」を大切に里山の維持管理にゆるやかに取り組んできました。その結果、楽しさが人を呼び、環境の保全につながり、地域に少しずつ活気が生まれていって――。この好循環はいかにして育まれてきたのか。共同代表の牛腸さん、兼増さんにお話を伺いました。
長らく放置されていた里山を、どうすれば生き返らせることができるのか
多摩丘陵に抱かれた東京都町田市の小野路町(おのじまち)は、今も宿場町の面影と豊かな自然が残るのどかな里山エリアです。かつてこの一帯では農業が営まれ、大半を農地と山林が占めていました。里山は農作業に欠かせない肥料や薪、資材をもたらす存在であり、人々の生業と日々の生活を支える場でもあったのです。

小野路宿通りには、兼業農家だった今は亡き祖父母の家がありました。私が幼い頃は、通り沿いに酒屋や小さな商店が並んでいて、駄菓子を買いにいくのが楽しみでしたね。当時、祖母は乳飲み子を二人、背中におんぶ、前に抱っこするような状態で、裏山の畑に出て農作業をしていたそうです。当時の祖母のことを知る近所の方から、「あなたのおばあちゃんが子どもを抱えて畑をやっている姿を見て、自分たちも頑張らなきゃ、と元気をもらった」と言われたことがあって、なんだかうれしかったですね(兼増さん)
その後、高度経済成長期に突入すると、都心への人口集中と住宅地開発が急速に進んでいきます。町田市内でも多くの田畑や山林が姿を変えていく中で、小野路町の大半は市街化調整区域に指定されていたこともあり、急激な開発は免れました。そのため、もともとの自然は残ったものの、次第に健在化したのが、農業の担い手不足や採算性の低下といった問題。とくに顕著だったのが竹林です。町田の竹は主にタケノコとして活用されてきましたが、掘り手の高齢化や輸入品の流入により、タケノコの生産が衰退し、竹林は放置されるように。こうして、人の手が入らなくなった里山が増え、竹林化が進み、環境や景観、防災の面でも課題を抱える存在となっていきました。
1990年代の平成初頭、小野路と隣接する小山田では土地区画整理事業が計画され、その過程で事業区域内の約1000ヘクタールの土地のおよそ3割が公的に取得されました。しかし2002年から2003年にかけて、事業が途中で中止に。使い道の決まらない土地は、そのまま放置される状態が続きました。町田市はその3年後の2005年、「北部丘陵まちづくり基本構想」を策定し、点在していた農地や山林を市が一括して引き取る判断をしました。結果として、市は管理や活用が難しい里山を大量に抱えることになったのです。
これらの土地を、どう活かし、将来につなげていくのか――。そんな課題の最前線に立つことになったのが、市の農業振興課で里山の担当をしていた牛腸さんでした。

限られた予算のなか、行政だけで整備を進めるのは現実的ではありません。思案の末に行き着いたのが、「市有地となった里山は市民の共有財産だから、活用してもらうことで持続可能な保全につなげられないか」という打開案でした。とはいえ、自然発生的に担い手が現れるわけもなく、牛腸さんはアウトドアや家庭菜園に親しんでいた知人に声をかけて、アドバイスをもらうことに。
小野路と隣接する小山田を、ほぼ一日かけていっしょに歩いたんです。そうしたら、小野路はやり方次第で可能性があるのでは、と言ってくれて。古街道や里山を歩くフットパスの取り組みがすでに行われているほか、歴史ある宿通りの風情や、地元の農家さんや地域の方が集まる「小野路宿里山交流館」の存在など、人を惹きつけるスポットや活動がギュッとまとまっているからと。それで、いろいろ話し合っていくうちに、「竹がいいんじゃないか」という話になりました。これが「小野路竹倶楽部」の活動の出発点ですね(牛腸さん)
活動拠点の裏山は宝の山。使い勝手のよい竹を用いたワークショップの数々
いよいよ牛腸さんが目指す「市民活動として里山を活かし、守っていく」取り組みのスタートラインに立ちました。
小野路にゆかりのある有志たちによって2020年、「小野路竹倶楽部」の前身となる「小野路里山活用プロジェクト実行委員会」が発足。同年10月、この取り組みは町田市の市民参加型事業「まちだ〇ごと大作戦」のチャレンジ事業に採択されます。「まちだ〇ごと大作戦」は、市民や団体が「こんなことをやってみたい」という思いを起点に、新たなつながりやまちの魅力を高めることを目的とした制度(2021年終了)。提出した企画書には、「普段使いの身近な里山」をテーマに、竹林整備の体験と伐採した竹を活用したワークショップを組み合わせることで、小野路ならではの里山の魅力を引き出し、ファンやリピーターを増やしていく。そうした循環を通じて、持続可能な里山をつくるという熱い思いを盛り込みました。

翌2021年には、活動の拠点となる場所が誕生しました。一般財団法人ひふみ会(まちだ丘の上病院)が運営する複合施設「ヨリドコ小野路宿」です。ここは、医療・福祉の機能を持ちながら、カフェや集会所を併設し、誰もが気軽に立ち寄れる場として構想された施設。「医療っぽくない空間」を大切にしながら、世間話の延長で健康相談が始まるような、日常に医療が溶け込む場を目指していると、「ヨリドコ小野路宿」施設長の古賀寛さんは話します。

実は「ヨリドコ小野路宿」の開設当初、裏山に広がる竹林もまた荒廃が進んでおり、法人として再生や活用の方法を模索しているタイミングでした。そこで「小野路里山活用プロジェクト実行委員会」への参加を呼びかけたところ、快諾を得られてうれしかったと、牛腸さんは当時を振り返ります。伐採した竹をその場で活用できること、ワークショップを開催できる屋内外のスペースがあることなど、活動の拠点としては理想的な環境でした。こうして、現在も「ヨリドコ小野路宿」のコミュニティスペースを活用しながら、活動を続けています。
しかし、本格始動のタイミングで立ちはだかったのが、コロナ禍でした。
当初はまず竹林の整備をして、そこから出てきた竹を使って、いろいろな体験型のワークショップをやれたらと考えていたんです。でも、コロナ禍で大勢の人を集めることができなくなってしまって……。ならば、規模を大きくするのではなく、できる形で、少しずつ始めることにしよう。ということで最初にやったのが、2021年4月の竹灯籠づくりでした(牛腸さん)

初のイベントとなった竹灯籠づくりは、予想以上の反響を呼びました。裏山から持ってきた竹に触れ、切って、加工する――。その一連の体験を通して、「竹は厄介者ではなく、使い方次第で魅力的な素材になる」という実感を、運営側と参加者の双方が共有できたことは、大きな収穫だったといえるでしょう。また、町田市をホームタウンとするプロサッカークラブ「FC町田ゼルビア」と協働で行った竹灯籠づくりのイベントも、印象的な出来事のひとつでした。
ゼルビアさんは、市民クラブとして町田から生まれたという原点があって、地域とのつながりをとても大切にしているクラブです。だから、私たちの活動もきっと応援してくれるだろうと思って、思い切って声をかけてみたんです(牛腸さん)
イベントに参加したサポーターの満足度も高く、その成果が評価され、翌2022年には「FC町田ゼルビア」ホームゲームにあわせて開催される夏祭り「まちだ青城祭」への参加が実現。スタジアム前の広場に大きな竹灯籠を設え、竹倶楽部の活動を広くアピールする機会となりました。現在も定期的にコラボレーションを継続しています。
竹灯籠づくりの次に挑戦したのは、流しそうめん台づくりです。このときは参加者とともに裏山に入り、使う竹を選び、力を合わせて切り出すという作業もやりました。そして鉈で割り、グラインダーで丁寧に磨き上げ、全長約4.5メートルの水路を完成させました。
こうした体験型のイベントを重ねるうちに、参加者は徐々に増え、リピーターも定着していきました。そこで、イベントを支えてきたスタッフや参加者有志が中心となり、市民団体「小野路竹倶楽部」を立ち上げることを決めます。
「小野路竹倶楽部」は、「竹」「里山」「小野路」のいずれか、あるいはすべてに関心を持つ人が、気軽につながる緩やかな趣味サークルです。会費も規約もなし。それぞれが興味のある活動に、都合のよいタイミングで関わる。「好きなときに、できる範囲で」というスタンスこそが、活動を長く続けるための土台であり、立ち上げ当初から今に至るまで大切にされてきました。現在は共同代表5名を中心に、連絡網代わりのLINEグループには高校生から80代まで約130名が参加しています。

これまで、さまざまなワークショップに向けて竹を切り出すことは行ってきましたが、本格的な竹林整備に踏み出したのは、コロナ禍が落ち着き始めた2023年からでした。竹を使ったものづくりを重ねる中で、本腰を入れて整備をしたいと考える仲間が少しずつ増えていったことがきっかけです。加えて、林野庁の「森林・山村多面的機能発揮対策交付金」の存在も、活動を後押ししました。この制度は、地域のボランティア団体などが里山整備を行う際に、最長3年間の支援を受けられるもので、初年度にはチェーンソーやノコギリなどの工具購入費の2分の1が補助されるほか、参加者の日当も支給されます。
竹林整備はイベントが一段落する12月中旬から2月上旬にかけて、隔週ペースで土曜日に行っています。仕事や家庭の事情で参加できる日は人それぞれなので、メンバーは固定せず、毎回入れ替わりで5~6名ほど。2週続けて作業をして、1週休むというリズムで、無理なく続けることを心がけました(牛腸さん)
人が通るのもやっとだった鬱蒼とした竹林は、こうした地道な作業の積み重ねによって、2025年、ようやく一区切りを迎える段階にまで整えることができました。
稼ぐためではなく続けるために。メンマづくりがもたらした活動の原資

「小野路竹倶楽部」の活動は、あくまでプライベートの延長にある趣味的な取り組みです。ただし、里山に入り、道具を使い、場を整えていく以上、どうしても一定の経費はかかります。すべてを持ち出しにしてしまえば、続ける人の負担が大きくなってしまう。だからこそ、イベント参加費や製品の対価としていただいたお金を原資に、活動費をまかなう。その仕組みの中で、「メンマづくり」は、「小野路竹倶楽部」にとって重要な柱となっています。
放置竹林問題解決のひとつの手法として、「メンマづくり」があることを知った牛腸さん。SNSを通じて、宮崎県延岡市でメンマの製造・販売を通じて竹林再生に取り組む「LOCAL BAMBOO株式会社」と出会い、加工や味づくりについての助言を受けられることになりました。けれども、当初から商品化を目指していたわけではありません。「面白そうだから、まずはやってみよう」。そんな軽やかな思いつきによる巡り合わせでした。

2022年5月には、「LOCAL BAMBOO株式会社」の手ほどきを受けながら、まずは内輪のメンバーだけでメンマの試作を実施。オンラインで延岡とつなぎ、工程を一つひとつ確認しながら進めました。その後、参加者を募ってワークショップ形式での仕込みを重ねていきます。初期段階では加工工程の一部を九州で行っていましたが、「できるだけ地域の中で完結させたい」ということで、町田周辺で加工する体制へと移行。2025年に町田市内の漬物屋「岡田屋」に商品開発と製造の協力を得て新商品が完成しました。名称もあえて「メンマ」ではなく「幼竹漬け」に変更。町田市内のイベント会場や「ヨリドコ小野路宿」内のカフェなど、顔の見える場所で販売しています。

コンスタントに手に取ってもらえて、これまでに250個ほど販売できました。「また買いに来ました」とか「お土産に」と、リピートで買ってくださる方が結構いらっしゃって、それがうれしいですね(兼増さん)
「竹害」ではなく「竹の面白さ」から始める課題解決
あくまでも趣味的な活動で繋がる市民団体という立ち位置を明確にしているからこそ、「小野路竹倶楽部」は行政だけでなく、企業や他団体とも、無理のないかたちで連携を進めてこられたのでしょう。その延長線上で、活動は少しずつ広がりを見せ、新たなフェーズへと進んでいきます。その象徴的な出来事が、「小野路炭焼研究会」とのつながりでした。
「小野路炭焼研究会」は、兼増さんのお父様をはじめ、小野路にゆかりのある人たちの間で、「せっかく竹もあることだし、炭焼きにチャレンジしてみよう」という話が持ち上がったことをきっかけに始まりました。最初は20人近くが参加していたといいますが、活動のスタイルはあくまでのんびり、ゆるやか。やれる人が、やれるときに集まり、竹を焼く。そんな肩肘張らない集まりでした。
しかし、参加者の多くは高齢で、ときどき子どもを連れて窯場を訪れていた兼増さんは、「このままでは、せっかく始めた炭焼きが途絶えてしまうのではないか」という危機感を抱くようになります。受け継ぐ人がいなければ、活動は続かない。そんな思いの中で、ふと思い出したのが、以前から存在を知っていた「小野路竹倶楽部」でした。

ちょっと私が偵察に行ってくる、という感じで竹灯籠づくりに申し込みをしたんです。実際に行ってみたら、とてもウエルカムな雰囲気があって。この人たちを巻き込めたら、炭焼きを継続できるかもしれない、と思ったんです。結果的には、私自身がこちらの活動が楽しくなってしまって、今では共同代表を務めるまでになりました(兼増さん)
兼増さんの参加をきっかけに、炭焼きの現場にも少しずつ変化が生まれていきます。竹倶楽部の活動で炭焼きに興味を持ったメンバーが、伐採した竹を炭焼き窯まで運び、炭焼研究会の面々がそれを割って炭にするという流れができ始めたのです。参加者の平均年齢が80歳近い炭焼研究会にとって、竹林から竹を運び出す作業は大きな負担でした。炭焼きの回数も年々減っていく中で、その重労働を若い世代が担うことで、活動を続けられる可能性が少しずつ広がっていきました。
炭焼きは、朝7時に着火したら、日暮れまでずっと付きっきりです。それを毎回いっしょにやるというのは、現役世代には正直なかなか大変です。でも、合間に丸太を運ぶだけとか、ごはん作りは行くよ、という感じで関わってくれる人もいて。出入りはありますけど、そうやって何とか継続できているのかなと思っています(兼増さん)
新たな世代が完全に技術を継承する、という段階にはまだ至っていません。それでも、外から来た人が質問をすれば、長年炭焼きをしてきた人たちが、少し誇らしげに知恵を語ったりもします。そうしたやり取りの中で、温度や火加減、焼き上がりの見極めといった感覚的な知識が、少しずつ共有されていくのでしょう。ここにもまた、「好きなときに、できる範囲で」という「小野路竹倶楽部」のスタンスが息づいています。
「小野路竹倶楽部」の活動を振り返ると、そこには一貫した姿勢があることに気づかされます。
それは、「里山を守ろう」「環境問題を解決しよう」と声高に訴えないこと。竹を切る。灯籠をつくる。幼竹を仕込み、食べる。炭を焼く。竹の問題を「竹害」として語るのではなく、「竹って面白い」「使い道がいろいろある」という入口から人を招くことで、少しずつ課題解決に近づいていく――。130人を超えるメンバーは、それぞれ異なる関わり方で竹と向き合っています。竹林整備が好きな人、ものづくりが好きな人、音楽や表現に関心のある人。建築家もいれば、大工もいる。その多様さが、このサークルの中で自然に掛け合わされ、「このメンバーなら、こんなことができるかもしれない」という次の発想を生み出しているのです。
里山保全を特別な活動にしない。日常の延長線上に置き直す。「小野路竹倶楽部」の取り組みは、その積み重ねがいかに大きな力になり得るのかを、静かに、しかし確かに示しています。
取材日:2025年12月25日