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「ヒトと地域をつなぐアクション」

本企画では、全国で持続可能な地域づくりに取り組む地域や人を発信。

本記事は「ヒトと地域をつなぐアクション」連載第一弾「長崎県波佐見町」の事例を紹介します。

歴史ある磁器の産地として日本遺産に認定される「日本磁器のふるさと 肥前」は、波佐見焼の産地である波佐見町や三川内焼の産地である佐世保市など長崎県と伊万里焼や有田焼などの産地を擁する佐賀県内の焼物の集積地で構成されています。この一帯は、16世紀末に朝鮮から伝わった技術、原料となる陶石の発見、そして薪と水に恵まれた環境が揃っていたことから、磁器生産の適地として発展しました。中でも、波佐見焼の代名詞とも言われる「くらわんか碗」は、丈夫で安価ということもあり全国に広まり、「江戸時代の庶民の食生活を変えた」とも言われています。

400年を経た今、現代のカジュアルリッチを標榜する波佐見焼は、洗練された「日常の食器」として支持され、国内の日常食器のシェアで2位、15%以上を占めるに至っています。一方で、実は2000年ごろからいくつもの困難に見舞われてきたと言います。それらのピンチをどのように乗り越えてきたのでしょうか。波佐見町役場 企画情報課 澤田さん、同商工観光課 今里さん、波佐見陶磁器工業協同組合 太田さん、波佐見町観光協会 三浦さんにお話をお伺いしました。

世界最大級の窯で支えた庶民の食文化。波佐見焼が江戸時代から「大量生産」を進めた理由

波佐見町役場 企画情報課 澤田さん(左)、波佐見陶磁器工業協同組合 太田さん(右)

400年超の歴史をもち国内有数の陶磁器の産地として有名な波佐見町ですが、江戸時代に全国に広まっていく「くらわんか碗」や酒や醤油を入れて欧州にまで輸出されていた「コンプラ瓶」は、波佐見焼の歴史を語るうえで欠かせない代表的な商品です。2016年に長崎県と佐賀県にまたがる「肥前やきもの圏」が日本遺産に登録されました。産地の一つでもある波佐見町において、近隣や他の産地と異なるやきものが生まれた理由を教えてください。

「畑の原」の登り窯

もともと焼物、陶器づくりは古くから行われてきたようですが、現在に繋がる波佐見焼(磁器)は、1590年代に朝鮮から陶工である李祐慶を連れ帰ったことが始まりとされています。この時代、原料となる陶石が各地で発見され、近隣の産地である鍋島藩の有田焼や伊万里焼、平戸藩の三川内焼などは将軍などへの献上品として藩の管理下で生産されてきました。一方で、波佐見は、民窯が主に庶民の器を作ってきました。江戸時代の登り窯跡は山の傾斜に沿って築かれ、全長170m、165m、155mに及ぶものもありました。これらは当時世界最大級の規模を誇り、波佐見が日本屈指の磁器生産量を支えていた証でもあります。(波佐見陶磁器工業協同組合 太田さん、以下 太田さん)

大量の磁器を一度に焼成するのに適した連房式登窯は、波佐見の歴史を今に伝える、まさに遺産ですね。繊細な絵模様や色合いなどで美術的な価値を高めた伊万里焼や三川内焼とは異なり、たくさんの器を効率的に生産する、いわゆる大量生産を志向したのはどのような理由からだったのでしょうか。

何よりも需要があったからではないでしょうか。江戸時代は町人が力を持ち、生活を営んだ時代です。いろいろなルートで全国に広まっていったようです。波佐見焼が江戸時代の庶民の食を変えたとも言われています。(波佐見町役場 企画情報課 澤田さん、以下 澤田さん)

それまで庶民の器と言えば、挽物(ひきもの)などの木の器や陶器が主流でした。それらと比べれば、軽くて丈夫で水も吸わない白色の器は、さぞ新鮮に映ったことでしょう。さらに手ごろな価格となれば、波佐見焼がいろいろなシーンで重宝されたのは想像に難くありません。

波佐見焼の窯元、重山陶器の社長でもある太田さん

いわゆる産業革命以前の当時、大量生産はどのように実現されたのでしょうか。

大量生産をするために先ずは原料の陶石を砕く必要があり、水唐臼(みずからうす)という機械が大きな役割を果たしました。山に囲まれた波佐見に流れる川の水力を利用して、粉砕します。町内東部を流れる三股川には100を超える水唐臼が設置されていたそうです。(澤田さん)

需要にこたえるために沢山の量を作らなければいけませんでした。それに応えるために、工程ごとに分業していったと言われています。土を作る人、形を作る人、絵をつける人、釉薬をかける人、窯積みをする人、窯を焚く人。そして流通(販売)も分業されています。量を作るために、自然と変化し定着していったと言われています。(太田さん)

旺盛な需要に対し、大量生産で供給に応えた波佐見の歴史があるんですね。江戸時代から分業化に取り組み、生産の効率化を図っていたとは驚きます。現在も400もの陶磁器関連の事業所が町内にあり、人口約14,000人のうち生産人口の2-3割ほどが窯業に従事しているそうです。当時から続く分業制は、現在でもしっかりと受け継がれていることがわかります。

「有田焼」からの自立。産地明確化の逆風を「ブランド化」の好機に変える

現在の波佐見焼の生産風景(協力 重山陶器)

そんな磁器産地として長い歴史を持つ波佐見ですが、この「波佐見焼」という呼称、実は2000年頃まではほとんど使われていなかったそうですね。

400年もの歴史がある産地ですが、江戸時代は主に伊万里港から輸出していたことに因んで周辺の焼物は全てIMARIとして海外で認知されていました。鉄道での物流に切り替わる昭和以降は、最寄りの有田駅から出荷しており、波佐見の焼物も「有田焼」として流通してきた経緯があります。2002年以降に食品の産地表示のルールが厳格化する流れの中で、食品以外も産地表示の明確化が求められていきました。その中で、一般の消費者にはほとんど知られていなかった「波佐見焼」を掲げる必要性が出てきました。(澤田さん)

実際、隣接する佐賀県有田町の産地問屋や商社などからの仕事も多かったそうで、昭和の初め頃から有田焼として波佐見産の磁器も売られていた時代が長く続いていたんですね。産地として400年の歴史はありますが、新たに「波佐見焼」というブランドの確立は、容易ではなかったのではないでしょうか?

毎年東京ドームで開催される「テーブルウエア・フェスティバル」に波佐見焼として2006年から出展をはじめました。(※2006~2008年は三川内との共同出展)波佐見の読み方も知らない方がほとんどで、お客さまも立ち寄らないような状況でしたが、出展を重ねる度に少しずつ名前が浸透していき、都心の若い女性のお客さまの反応に手ごたえを感じるようになりました。(太田さん)」

町だけでなく、県も一緒になって、波佐見焼のブランド化に注力してきました。時代に即した商品開発で引き合いが増えた窯元や商社が波佐見焼の名を牽引した一方で、それぞれの窯元や商社も共通の「カジュアルリッチ」というコンセプトで商品開発に力を入れてきました。地域一丸となって波佐見焼ブランドの確立に取り組んできました。(澤田さん)

いろいろな取り組みが徐々に効き始め、都心部の人気セレクトショップで取り扱いが増えたり、お洒落なカフェでの利用も増えたりと、波佐見焼の名は、今やしっかりと根付いたように感じます。波佐見焼の名を周知しなければいけなくなった危機感を共有し、官民一体となって取り組む素地があったこと。さらに「カジュアルリッチ」というコンセプトを、価値創造の共通概念としたことも大きかったのかも知れません。

波佐見焼のブランド確立と同時期に起こっていた窯業を揺るがす課題とは

この産地の明確化と同じ時期に、窯業の持続性にも関わるような大きな課題もあったそうですね。

使用済の石膏型

産地問屋などから3000や5000といった単位の器を窯元が受注します。それが新しい形の場合は、まず石膏型を型屋さんに発注するところから仕事が始まります。出来上がった石膏型を生地屋さんに持ち込み、生地を成形します。この石膏型は繰り返し使いますが、100回から200回で寿命となり使えなくなり、廃棄することになります。(太田さん)

生産を行ううえで欠かせないこの石膏型の処分について、1999年まで、町営の最終処分場で埋め立てていました。ここが満杯になった後、町内で別の候補地を検討しましたが適地を見つけることができませんでした。多額の建設費がかかることや環境に対する社会情勢の変化もあり、新たな最終処分場の確保を断念することになります。可能な限りリサイクルを推進する方針が決まりましたが、半年後には埋め立て分を行う中間処理業者が新たに進出したことにより、リサイクルの機運は一気にしぼんでしまいます。その後は町内の2社の事業者を通じて、長崎県内の最終処分場へ排出していましたが、2017年頃、窯業由来の石膏型は処分できないこととなってしまいました。再び行き場を失った石膏型は町内の中間処理施設に堆積するようになりました。行政として対応を進めることになりました。(澤田さん)

日々大量の廃石膏が町内に堆積してゆくのは、いくら基幹産業とは言え、町民に与えるインパクトも大きそうです。その後どのように対応されてきたのでしょうか。

波佐見町観光協会 三浦さん(左)、波佐見町役場 商工観光課 今里さん(右)

年間でおおよそ400-500t程度の廃石膏が町内で発生しており、排出先を通じてリサイクル化を推進している状況です。2019年に地域総合整備財団(ふるさと財団)の「地域再生マネージャー事業」に選定され、埋め立てることができなくなった廃石膏をどのように処理するのか、という初期段階から専門家に協力してもらいました。
現在は、(アスファルトの下地となる)路盤材への活用の他に、昨年竣工した町役場の新庁舎をはじめ、歴史文化交流館や宿泊施設などで、廃石膏を一部原料に使いJIS規格(日本産業規格)に準拠した建築材も使用しています。さらに粉末化した廃石膏を原料とする普通肥料「波佐見のめぐみ」が2023年に農水省に登録され、町内外の田畑で試験的に使用し稲作栽培で活用がはじまっています。(波佐見町役場 商工観光課 今里さん、以下 今里さん)

22haもの広さを誇る鬼木棚田。町内には他にも野々川郷百枚田、川内棚田があり稲作が盛んです。

1999年頃から顕在化しつつあった廃石膏の廃棄問題。時を経て地域内で循環するようなリサイクルの流れが生まれているとは素晴らしいですね。もともと農業が盛んな地域で、以前から「半陶半農」という言葉が定着し、窯業をしながら兼業で農家をする方も多かったという波佐見町。町内には、棚田100選にも選ばれる「鬼木の棚田」もあり、大村藩の時代から県内随一の米所として栄えたのだとか。それにしても、廃石膏を肥料にとは、凄い発想です。

なぜ肥料に注目したかというと、まず加工コストが低いことと、町内に農地が多いことがありました。「石膏再生協同組合」という機関で、石膏の農地活用も実証され、ガイドラインなどもありました。また、陶磁器の最大産地である愛知や岐阜には石膏メーカーが複数あり、石膏のリサイクルとしてセメントの材料を始め、植物の生長に関する研究もされています。現地への視察も実施し、農地への活用を進めていくこととなりました。(今里さん)

実はこの石膏を原料とする肥料は、イモ類、特に生育の過程でカルシウムは欲するが、酸性の土壌を好むジャガイモの生育に向いています。長崎県南部にある島原・諫早は、ジャガイモの産地で日本2位の生産量を誇っています。まだまだ試験的な使用が多いですが、10t程度は販売も行われており、波佐見の廃石膏が農作物の収穫に貢献しはじめています。(澤田さん)

グッドデザイン賞やふるさとづくり大賞にも輝く!廃石膏のリサイクルから生まれたお土産品「波佐見陶箱クッキー」

選べる陶箱の意匠もクッキーも季節ごとに変化し、リピーターからの注文も多い「波佐見陶箱クッキー」

その肥料「波佐見のめぐみ」を使って波佐見町で栽培されたお米を原料に使った米粉クッキーを、さらに波佐見焼の箱に入れて「波佐見陶箱クッキー」として商品化し2021年に販売開始しました。波佐見町観光協会の窓口や通販サイト「HASAMI SWEETS STORE」でお土産品として販売しています。(波佐見町観光協会 三浦さん、以下 三浦さん)

廃石膏を肥料にリサイクルするに留まらず、町内でお米も栽培し、そのお米を使ってクッキーも焼いて、波佐見焼でパッケージにしてしまうとは!まさにアップサイクルのお手本、これぞ地域内循環を体現するような素晴らしい商品です。販売を開始した2021年にグッドデザイン賞も受賞され、累計販売数は、なんと1万個を超えているそうですね。

「波佐見焼」という基幹産業がある一方で、磁器以外のお土産品となると、なかなか魅力的なものがないという課題を抱えていました。そのような中で、お土産品開発のプロジェクトを行政主導で始動し、同じ時期に推進していた廃石膏リサイクルプロジェクトを組み合わせて、企業や団体など多くの波佐見町の皆さん、さらには外部のコンサルタントの知見をいただきながら完成したのが「波佐見陶箱クッキー」でした。(澤田さん)

行政主導で、お土産品の開発とはユニークな取り組みですね。観光協会だけで購入できるという点も面白いです。

お土産品の開発には、観光協会の収益力のアップ、自走の促しとする目的がありました。観光協会の収入のほとんどが町からの補助金であり、観光協会に稼ぐ力をもってもらうために町も積極的に支援し商品化にこぎつけました。販売元を観光協会にすることで安定した収益源を確保することができ、協会運営の安定化に繋がっています。(今里さん)

波佐見焼の生産には欠かせない石膏の廃棄問題。課題解決へのアプローチとして、近視眼的に産業廃棄物の処理という視点だけに捉われることなく、リサイクル化を推進し、さらには他の地域課題と一緒に解決を目指すアプローチには、多くの学びがあります。廃石膏を起点に、「波佐見のめぐみ」「波佐見陶箱クッキー」は商品化を果たし、建築材の販売も計画中とのこと。

当時、商工観光課におりましたので環境やごみ処理としてではなく、あくまでも窯業支援という立場で、廃石膏の課題に取り組んでいました。まずはコンプライアンスの確認と遵守。排出者責任などについては環境アドバイザーなどの専門家に協力してもらい対応しました。その上で、肥料や建築材などへのリサイクル化を推進してきました。これに伴い、生産者のコンプライアンス遵守の意識も変化してきたことも大きな収穫です。(今里さん)

今後も、廃石膏のリサイクルとしては、肥料としての広がりの強化やブランド化、その肥料を使って地域内で栽培された野菜などを地元の飲食店さんに使ってもらう地産地消の取り組みを推進する予定です。また、建築材として、専門機関、地元建築会社の協力を得ながら、主に内装材として販売を開始できるよう実証を重ねていく計画です。廃石膏の地域内循環というところが究極の目標ですが、実現に向けて試行錯誤の繰り返しを行っているというところが実情で、今後も専門家等と協力しながら目標の実現に向け動いていきます。(澤田さん)

民間の生産者だけでなく行政も積極的な姿勢で町の基幹産業である窯業の持続化と発展に取り組んでいらっしゃることがよく分かりました。これらの取り組みが認められ、2023年には総務省の「ふるさとづくり大賞」優秀賞も受賞されています。

波佐見町、じつはふるさと納税も多くの支持を受けているそうですね。

長崎県内には21の市町があるのですが、波佐見町は佐世保市に次いで県内2位の寄付額です。波佐見焼のブランドの浸透に比例して、寄付額も増えています。一時期は20億程度、現在でも18億円程度の寄付額となっていて窯業にも大きく貢献してもらっています。(太田さん)

日ごろの情報共有で育む風通し良さと連帯感。よそ者を受け入れる懐の広さも波佐見の魅力

ぐるりと山に囲まれた盆地の波佐見町は、まさに陶郷の趣。周辺の山は窯焼に欠かせない薪の産地でもありました。

産地名の明示化にともなう波佐見焼ブランドの確立や生産に欠かせない石膏の廃棄問題など、それぞれが大きな困難にも関わらず、しっかりと向き合い、行政と民間事業者が垣根なく一丸となって乗り越えてきたということを感じました。言葉で「一丸(いちがん)」ということは簡単ですが、実際に皆さんのお話を聞いていると、一緒に課題に取り組む素地があるように感じます。

町内を盛り上げるために新しい行事やイベントやります!と、声かけすると、毎回参加してくださる方が沢山集まってくださり驚きます。地域への意識が共通しているように感じます。

観光協会の仕事をしていると、他の地域では、地域内や関係者の合意形成が難しいという話をよく聞きますが、波佐見は全くと言っていいほどありません。これをやりたいから協力してほしいとお願いすると、もちろん議論はありますが、それでも最終的には前に進んで、皆さん協力してくれるんです。

僕も含め、移住の人も結構いますが、受け入れてくれている実感があり、僕からすると波佐見の人は、地域全体で家族ように見えます。町のサイズもちょうどよく、みんな知り合いというのも大きいような気もします。例えば、誰かに石膏の話をした時、その人の知り合いに繋がって、話が広がり、物事が解決の方向へ進んでいくことが多いです。自治会もすごく機能しています(三浦さん)

窯元内での作業の様子(協力 重山陶器)

今は波佐見焼振興会で月に1回、窯業関係者と県や町の行政、それに銀行や商工会などが集まって、情報交換をやっています。毎月の活動報告みたいな感じで、今こんなことをやっていますっていう情報を定期的に集まって共有しています。

同じように行政もやってくれています。毎月1回、自治会長会議というのがありまして、町長をはじめ、各課長、教育長と町内の22の自治会長が集まって1時間半ほど会議をしています。各地域のいろんな行事を把握できるし、自治会の要望もそういうところで聞いています。こういった定期的な会議が窯業でも、町政でも行われているというのが大きいかもしれないですね。(太田さん)

波佐見焼を通じて、波佐見を訪れる観光客も増えているそうですね。

もともと窯元だった「西の原」が波佐見町の観光の中心地となっています。倉庫や窯元の事務所だったところにカフェやお店が入居しています。「monne legui mooks(モンネ ルギ ムック)」も人気のカフェで、移住してこられたカップル(後に婚姻)が始められました。波佐見の観光を外に発信して貢献してくれています。そういった移住者の方と一緒になって、波佐見の町を盛り上げていこうという意識は常にあります。(太田さん)

先ほど、町民みんな、波佐見町が好きで、まるでひとつの家族のようだ、という話をしました。一方で外部のコンサルや移住者を喜んで受け入れるのも波佐見の特徴だと感じています。外から来た人の力をうまく取り入れる土地柄を感じます。(三浦さん)

「まだまだ波佐見焼の名前を知らない人も多いし、波佐見焼ブランドの確立に終わりはありません。地域外からの提案でも良いものは柔軟に受け入れて、産地全体で取り組んでいきます」と、波佐見陶磁器工業協同組合の組合長であり、ご自身で窯元を営む太田さんが、笑顔で締めくくりました。

日本遺産に登録され、陶磁器の産地として400年の歴史を誇る波佐見町。近隣に多くの産地があるからこそ、当初から差別化することが必然だったのかも知れません。他の産地に先んじて分業化や大量生産を志向することで窯業を持続させ、時代のニーズに適応しながら発展してきた様子がわかりました。

生産や販売に関わる深刻な課題や困難への向き合い方として、官民一体、地域一丸で取り組める連帯感は、職住近接というコミュニティー土壌と、日ごろからの何気ない情報共有の積み重ねによって育まれているように感じました。地域外の方を受け入れる懐の広さも、地域の魅力を引き出すことや新しい展開に繋がっているようです。

地域内循環で環境負担の少ない磁器づくりを進める波佐見町。海外からの引き合いも増えている波佐見焼の今後の展開が楽しみです。

取材日:2025年12月15日