
「建築」と「仕掛け」を掛け合わせ、都市空間に新たな価値を生み出す、株式会社リライト代表の籾山真人さん。裏原宿のカルチャーに興味を抱いていた高校時代、いわゆる都市計画ではない、若者たちの自発的な動きによって街の風景が変わっていく様子に心を動かされ、まちづくりに関心を抱いたといいます。高架下や駅ビルの遊休スペースを活用し、その街の魅力を引き出すプロジェクトを多数手がける籾山さんに、地域の人々を巻き込みながら、日常の中に“賑わい”を創出する場づくりへの思いを伺いました。
ストリートカルチャーとの出会いがまちづくりの原点に
籾山さんが株式会社リライトを立ち上げたのは、2008年のこと。現在は、大規模商業施設や商業デベロッパー、行政などからの依頼を受け、商業施設や公共空間のプロデュースを行っています。
まちを開発するのではなく、まちの中に潜む可能性を引き出していく――。そこで必要となるのは、都市を再構築するときに見落とされがちな、ある視点です。籾山さんは、三浦展さんの提唱する「第4の消費社会(≒物質的な豊かさよりも共感や関係性を重視する社会)」というキーワードを引き合いに出しながら、共感や関係性を重視する時代において、商業やまちの価値は“モノを売ること”から“関係を育てること”へと変化していると語ります。
それは、地域の人たちを巻き込みながらコミュニティを育み、まちの賑わいそのものをデザインしていくということ。
籾山さんが重視するのは、空間そのものの設計だけではありません。そこに関わる人々――地域住民や商店主、利用者がどう交わり、新しい文化や経済の循環を生み出していくのか。その関係性まで含めて「場」を設計していくのです。こうした“関係のデザイン”を、さまざまなプロジェクトで企画・実践してきたことこそが、籾山さんの仕事の本質といえるでしょう。

籾山さんが「まちづくり」を意識し始めたのは、高校時代にさかのぼります。
高校生の頃、ファッション誌で頻繁に取り上げられていた裏原宿の界隈に憧れのようなものを抱いていました。当時はまだ“裏原宿”という呼び名もなく、明治通りの裏手あたりに、若いデザイナーやその仲間たちが小さな店を次々とオープンしていた時代です。服飾専門学校を出たばかりの、自分より少し上の世代が中心になって、仲間同士の動きがやがてムーブメントになり、街の空気そのものを変えていく。そんな様子に心を動かされました。藤原ヒロシやNIGO、アンダーカバーのジョニオらが生み出したカルチャーは、結果的に“まちの風景”そのものを変えていった。もちろん、彼らにまちをつくる意識があったわけではないと思いますが、「自分たちの手で街を変えることができる」といった感覚を初めて感じた経験でした。当時はそれを言語化することもできませんでしたが、振り返ればこれが、いま自分がまちづくりに関心を持つようになった原点だったのかもしれません。
その後、籾山さんは大学で社会工学を専攻し、都市計画やまちづくりを体系的に学びました。所属した研究室では、 “まちの変化”を学問として掘り下げる機会を得ます。
裏原宿のような、商業エリアがどのように“広域集客力”を持つに至るのか、そのメカニズムを知りたいと思いました。当時はまだ“エリアリノベーション”という言葉は存在していませんでしたが、ここで初めて、かつて抱いていた自分の興味と学問がリンクした感覚がありました。
メディア運営と拠点づくりが連動してまちを巻き込む渦となった「立川プロジェクト」

大学を卒業する頃になり、いざ自分が思い描く「まちづくり」を仕事にしようとしても、その道筋はまだ見えていませんでした。単なる再開発ではなく、まちに眠る可能性を掘り起こし、地域の人とともに新しい価値を育てていく――そんな仕事をしたいという思いは明確にあったものの、どうすればそれを実現できるのかがわからない。籾山さんは手探りで道を探し始めました。
「デベロッパーに就職するのは、僕がやりたいまちづくりとはちょっと違う気がして」と思った籾山さん。そして、やりたい仕事が世の中にまだないのであれば、自身で起業すればよいと、当時起業家を多く輩出していた外資系経営コンサルティングファームに新卒で入社します。数年間勤務して独立資金を蓄え、2008年に株式会社リライトを起業しました。とはいえ、すぐに仕事が舞い込んだわけではありません。そこで設立の翌年、出身地の立川でプロジェクトを始動させました。
対象としたのは、JR立川駅北口から徒歩10分ほどの「シネマ通り」という、かつては米軍基地のゲート前に位置していた商店街。当時は賑わいを見せた商店街も、いつしかシャッターが並ぶ静かな通りとなっていました。籾山さんは、そんな場所にもう一度賑わいを取り戻そうと、地元コミュニティFMを活用したラジオ番組の発信と、空き店舗をリノベーションしたコミュニティスペースづくりに取り組みます。コミュニティカフェやシェアアトリエが入居するその空間は、地域の人が気軽に集い、思いを形にできる“まちのサロン”のような存在へと育っていきました。

ラジオ番組を始めたおかげで、まだ実績のない若者でも、出演交渉をきっかけに地域のキーマンと接点を持てるようになったんです。番組は、我々が聞き役としてゲストの活動を紹介、さらに「誰かお友達を紹介してください」というスタイルにしたことで、つながりがどんどん広がっていきました。自身でメディアを持つことは、単に情報発信手段としてだけでなく、人を巻き込む手段にもなりうる。まちづくりにとって、不可欠なツールなんじゃないかって。
放送後には毎回、先述のコミュニティスペースに移動して、出演者とリスナーが気軽に語り合える交流の時間を設けました。この流れを毎週続けるうちに、地域活動に関心を持つ若者たちが自然と集まるようになっていきます。

立川で生まれたものの、当時は別の地域で暮らしていた籾山さん。「電車賃はばかにならなかったけれど、週に何度も立川に通い、顔を合わせて語り合う時間がとてもよかった」と、5年ほど続いた立川での日々を振り返ります。
情報発信を通じて人を巻き込み、コミュニティを育てることの重要性を実感しました。ここで得た気づきが、後にリライトが提唱する「場のメディア化」という発想へとつながっていきます。つまり、「情報を発信するために場をつくる」のではなく、「場そのものが情報を生み出すメディアになる」という考え方です。
こうして、建築(ハード)と仕掛け(ソフト)を融合させた場所づくりという、リライトならではのアプローチが確立。その思想は、のちに中央線高架下や駅ビル再生など、多様なエリアリノベーションへと発展していくことになります。また、この立川プロジェクトをきっかけに、建築家やデザイナー、編集者など、それぞれ別々の組織で活動していたメンバーが徐々にリライトに参画することで、組織としても大きく拡大していくことになります。
地域住民を主役に据えた情報発信でコミュニティの輪が広がった「JR中央線高架下プロジェクト」

立川での経験を経て、籾山さん率いるリライトが次に手がけたのが、2012年から始まった「ののわプロジェクト」でした。
2010年、JR中央線の三鷹~立川間で高架化工事が完了したことで、長さ約9km、7万平米におよぶ高架下空間が誕生。駅周辺の開発は積極的に進められていた一方で、住宅地が広がる駅間エリアでは、商業ポテンシャルを見出しにくいという課題がありました。
高架下を有効活用するには、商業施設をつくって終わり、ではなく、「地域の魅力をどう育てていくのか」という視点が求められていました。どうすれば人々が「ここに住みたい」と思えるような空間にできるのか──。
事業主は株式会社JR中央ラインモール(現株式会社JR中央線コミュニティデザイン)で、当初は大手広告代理店主導の体制で進められていたものの、これまでの鉄道会社のアプローチと異なることもあってか、プロジェクト推進体制は二転三転。その後、「ののわプロジェクト」は、リライトが運営事務局を担い、地元のクリエイターを巻き込みながら、さまざまな取り組みに広がっていくこととなります。
最初に取り組んだのは、中央線沿線の隠れた魅力を紹介するエリアマガジン「ののわ」の発行でした。

毎月3万部を制作し、三鷹・国分寺・立川など8駅の専用ラックで無料配布。誌面では、地域の個人店やソーシャルグッドな活動を行う人々を紹介し、「隣の駅にもこんなに面白い場所がある」と感じてもらうことを狙いました。次に、「ののわ」に登場したキーマンたちを招いて、月1回のトークイベントを開催。その様子を、翌月号の巻頭4ページで特集しました。
地元の魅力を発信するキーパーソンに出てもらうことで、私たちとしては地域へのドアノックツールになるし、出演者にとっては自分のストーリーを伝える貴重な機会になりました。しかも、冊子にも載るということで、皆さんSNSで宣伝をしてくれるんですよ。それと、トークイベント後には必ず交流会を開いたことで、横のつながりもできたんですね。そのうち参加者から「自分たちでも何かやってみよう」という雰囲気が生まれていきました。
それが「地域ライターネットワーク」です。WEB版「ののわ」では、地域の人々がライターとなり、チームを組んで企画・取材・執筆までを担う仕組みをつくりました。毎月の企画会議には20~30名が参加し、登録ライターは約120名。毎月5~10本の記事をアップし、ときには地元への愛情たっぷりの記事がSNSで話題になることもありました。
地域ライターネットワークを皮切りに、さまざまな地域活動が盛んになったことで、自然と地域コミュニティの輪が広がっていきました。立川で培った「場づくりとメディア運営を組み合わせる手法」は、このプロジェクトでさらに磨かれていったのです。
“小商い”のテナントが起爆剤に。工夫を重ねたコミュニティ活動の受け皿

「ののわ」というメディア運営を通じて参画していた「JR中央線高架下プロジェクト」が進行するにつれ、地域活動の受け皿となるような場所の必要性が徐々に高まっていきました。そこで、JR東小金井駅から徒歩3分ほどの高架下に、“小商い”をテーマにした地域共創型商業施設「コミュニティステーション東小金井」の計画が持ち上がります。そして、リライトは、施設のコンセプトづくりから、建築設計、テナントリーシング、開業後の運営まで幅広く関わることになりました。
「当時の東小金井は、中央線沿線の中でも乗降客数が少なく、駅前に降り立つとほとんど店がなくて、閑散としている印象がありました」と籾山さん。そんな場所だからこそ、地域に根ざした新しい賑わいを生み出すための挑戦にもなりました。
「コミュニティステーション東小金井」の特徴は、地元の小規模事業者を巻き込みながら企画を進めた点にあります。
もっとも大きな特徴は、チェーン店等の一般店舗区画と地域密着型のコミュニティ区画を組み合わせたこと。後者は賃料を低めに設定する代わりに、テナント自らが地域イベントの企画・運営を担うことを条件にするなど、”関わりながら育てる場”としての仕組みを意識しました。また、初期費用を抑えるため、内装工事は必要最低限にし、什器を持ち込むだけで開業できるようにしました。
もうひとつのこだわりは、空間設計の仕方。通常は貸床面積を最大化しようとするため、施設が過大になりがちですが、ここでは1500平米の敷地に対し、容積率200%で最大3000平米まで建てられるところを、あえて延床500平米にとどめています。そして、建物を高架下の幅の半分ほどにとどめることで、 “路地状の空き地”を創出しました。

この“半屋外空間” は、通常営業時であれば商店街のはみ出し陳列のような使い方ができ、イベント時であれば外部出店者が出店できるポップアップスペースとして、また白いスチール製のフレームにマグネットフックをかけて商品を飾るといった、フレキシブルな使い方もできます。こうした設計により、店舗の賑わいが自然とあふれ出す“まちの縁側”のような場所となり、人とまちとがゆるやかにつながる風景が生まれました。
開業後は、テナント主体のマルシェイベント「家族の文化祭」を年に2〜3回開催しています。初回の来場者は約1000人でしたが、1周年で3000人、2周年にはなんと5000人にまで増えました。通常、商業施設のイベントは開業時がピークになりがちですが、ここでは年を追うごとに集客が伸びているんです。アンケートを見ると、テナントだけでなく外部の出店者も積極的に告知していて、「自分たちのイベントとして育てていこう」という意識が強いことがわかりました。マルシェイベントをやることで、場をメディア化し、それ自体が人を巻き込むツールになっていく。そういう意味でも、場の運営に加えて、イベントを定期開催することはとても重要だと思います。
「やりたい!」を叶える土台を整備した現在進行系の「西荻高架下プロジェクト」

「コミュニティステーション東小金井」で培った知見をもとに、籾山さんが現在、施設開業後の運営に関わっているのが「西荻高架下プロジェクト」です。西荻窪駅から吉祥寺方面へ徒歩4分ほど。高架下約200メートルにわたる空間を3期に分けて再開発する計画です。
もともとこの一帯は、周辺が住宅街の倉庫や事務所が立ち並ぶ静かなエリアでした。それを地域とつながる商業空間へと再生しようということで、第1期にはスーパーマーケット、第2期には飲食や食物販の中小規模テナントを配置し、少しずつ人の流れを呼び込んでいます。
また、建物前の遊歩道は、あえて建物をセットバックさせ、民設民営の空間(≒パブリックスペース)として、お客様や地域の通行人のために開放しました。
現在は第3期エリアの工事がスタートしたばかり。籾山さんは、事業主である株式会社ジェイアール東日本都市開発と協働で、”小商い”をコンセプトにしたインキュベーションスペースと広場運営を組み合わせながら、関係人口づくりを通じた施設の賑わいづくりを進めています。


インキュベーションスペースには、2つのシェアキッチンが設置されていて、ひとつは曜日替わりや時間単位で利用できるカフェスペース併設のシェアキッチン。もうひとつは、お菓子等の製造・販売が可能な製造専用のキッチンで、「お店を持たなくてもチャレンジできる」場づくりをすすめています。
シェアキッチンと広場の運営の2軸で活動を展開し、高架下を活用してくれる担い手を育てることで、新しい“高架下の風景”を描いていきたいと話す籾山さん。さらに、自身が教鞭をとる東京女子大学と、ジェイアール東日本都市開発との産学連携協定のもと、地域課題の解決をめざす実践型プログラムも実施。「西荻高架下プロジェクト」は、中央線沿線における“まちの再編集”の次なるモデルとなりつつあります。
関係性をデザインすることこそ、まちづくりの大切な一歩

さまざまなプロジェクトを手がけ、その実績と柔軟な発想から各地で注目を浴びる籾山さんのもとには、行政や民間企業などからの相談が絶えません。そうした依頼に向き合うなかで、常に心に留めていることがあるといいます。
いきなり“箱”をつくる前に、まず地域とのつながりを育てることが大切だと思うんです。どんなに立派な施設をつくっても、使い手や担い手がいなければ意味がない。だからこそ、まずは地域で動く人を見つけ、育てていくことから始めるべきだと考えています。極端にいえば、「いきなり箱をつくるのはやめませんか?」ということなんですよね。

籾山さんいわく、「コミュニティが生まれ、広がっていく過程は、水面に落ちた一滴の波紋のようなもの」。大きく広がるものもあれば、やがて静かに消えていくものもある。ときには隣り合う波紋が重なり合って、新たな輪を描いていく――。だからこそ、コミュニティには常に「求心力」と「遠心力」のバランスが必要です。求心力が強すぎれば閉鎖的になり、遠心力が強すぎれば関係は希薄になってしまう。その中間にこそ、持続可能なコミュニティの姿があると籾山さんは考えます。
そして、このバランスを保つために欠かせないのが、人が気軽に集える“場”の存在。
リアルな場があることで関係が定着し、活動が加速していきます。オンラインにもコミュニティは存在しますが、顔を合わせる機会のない関係は長続きしません。だからこそ、場が生まれることは、コミュニティ形成における最初の転換点となり、そこから内と外の関係性が生まれ、関係人口が育まれていくのだと、籾山さんは強調します。
場をどう設計し、どう使いこなすかが、その後のコミュニティの成熟を左右すると思います。
行政やデベロッパー主導の“トップダウン型”ではなく、地域の小さな試みを束ねながら面として広げていく。こうした“ボトムアップ型まちづくり”において、もっとも必要とされるのは、地域の現状に問題意識を持つ人の存在です。
立川でのプロジェクトを思い返すと、地元の将来を憂う若者がひとりでもいれば、そこに異なる分野の仲間を3人ほど集めるのがいいと思うんです。2人だけだと対立が生まれやすいけれど、3人になれば関係が安定し、動き出す力が生まれるような気がします。そして、できればその3人がそれぞれ違うバックグラウンドを持った専門家であると、さらに良い。その輪が広がって、徐々にうねりのようになって、自然と地元の事業者や自治体も自分たちの活動に関心を持ってくれるようになると、次第に次の展開につながっていくと思います。
また、外部の人間がいきなりやってきて、「まちづくりをやります」と声を上げても、長くその地に暮らす人々からは警戒心を持たれやすいといいます。だからこそ、「自分たちがつくる」のではなく、時には聞き役に徹するというスタンスも大切。そうすることで、地域に根ざした人々の“これまで”を尊重しながら、新しい風をそっと吹き込むことができるのです。
結局のところ、場づくりもまちづくりも、関わる人の関係性をどうデザインするかに尽きるのだと思います。
まちを変えるのは、誰かの大きな計画ではなく、地域に関わりを持つ人たちの小さな共感の連鎖。籾山さんがプロデュースした施設を訪れてみると、きっとその思いを感じられるでしょう。
取材日:2025年9月24日